6.有り難み

家族は尊敬していて自分には超えられない存在です。わたしは末っ子でどんなに違う分野でがんばって喜んでもらっても、やはり年下の扱いであることにかわりない。

昔はそれが嫌で自分も姉の年齢になればいいのかとそうではありませんでした。社会人になったらちょっとはなんとなく同じ目線で見てくれるようになったけどそうではありません。昔も今も、とにかく出来ることは体力面や行動面で補うしかない。だから今でもわたしに説得力の欠片もないはず。でも良い、今は。結果で返しします。現にできていないことがいっぱいあるし、たくさん学べる、当たり前のことを当たり前に出来る人なるように。心配してくれてとても感謝しています。


何に尊敬するのかというと、例えば親が先生とか、社長とか、過保護的な教育とかにあこがれていました。だから当初、はじめての尊敬者は中学の先輩で、自分を高めてくれる存在は、先生、先輩、後輩、仲間、指導者、治療の先生、地域の人でした。ただ、そのうち「感謝」を学びました。親は子供のために自分を犠牲にしていることを知りました。

昭和の時代は親から言われた家事や家を継ぐとか、嫁に行くとか、戦争とか、そういう決められたことをすることが極端な話当たり前みたいな感じで、親はそればかりで好きなことをしてくれていなかったためだからその代わり、限られた中で好きなことをさせてくれる。決定権を自分に委ねてくれているという感じです。


ある意味自分の選択肢が問われるわけだから不安だけど常にそんな感じでやってきたので結局自分のこだわりがすこし発見できた気がしました。そして絶対人を裏切らない、人のために尽くしているけど自分のためには最小限でやっている気がするので、それを早くさせてあげたいです。くだらないですが、スイミングでアイスを買ってくれたり合格したらおもちゃを買ってもらうと自分から親にお願いし、そしてあんたは最後だから好きにさせてあげれるだでね。というのも忘れていませんね。


家族を例に挙げましたが、たくさんの「ありがとう」があります。だからまず返しに行きます。たまに思い出すことについて、日記にまとめようかと思ったけど、たまに思い出そうとするからそれも脳みその活性化にあるとプラスに考えます。

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