1.チャンスや偶然の考え方

常に目の前の現象に、「なぜ」を問いつづけていました。

これってなに。なんでそう言ったの。矛盾が嫌い、仲間はずれが嫌い。怒ってるだけ愚痴言ってるだけの状態が意味わからない、その先は?どうするの?なんでこれをやる必要があるの。そんな感覚でした。

「あんた、なんで、なんで、言い過ぎ。」と姉や母に言われ、聞くのをやめました。自分で調べる。考えてから分からなかったら聞けと言われました。その時はめんどくさいと思われてたけど、結果良くも悪くも「考える」癖がつきました。わからないけど感覚でしっくりきたときにはそれをやりつづけました。答えが出るまで。


そしてすこしでも発見や変化が現れたときの嬉しさ。一緒にいてくれる仲間や指導者や、気づきを与えてくれた環境や関わった全ての存在が今の自分をつくり上げていると悟りました。常に考え、感じていたからです。でも考えすぎて脳みそが疲れて行動に出来ないことも多くありました。それはよくないパターン。なので、時には楽観的にまずは行動。そしてちゃんと経験している人に聞くようにしました。ただし何をどんなふうに聞くかが重要で、相手の事を考えて。何をしたくて何が分からなくてどうしたいのか。



そしてそれによって今たくさんの偶然やチャンスをもらえている「運」をいただいる。そして試してみることが出来る。その延長線に得られるものがある。今自分にはやりたいことの前にやらなきゃならないというか、やってあげたいものがあって、それをするために今必死に求めているからかもしれません。ちょっと大変そうですが、でも面白いです。楽しいです。


でも、「運」とか「チャンス」って感じるのも捉え方も人それぞれで、それはその人の経験値や判断能力や今置かれているタイミングで違うと思います。「チャンス」その人にしか与えない神様からの教えだと思う。逆に「チャンス」がない状態は何かというと、それは今あるものをやっている状態。私も誰もがやっている、寝たり食べたり「当たり前」の中でできることをやっていることなのかなと思います。


むやみに冒険せずに与えられたものの中でやりくりする「安定」という状態。今に満足し、自分はもう出来上がっていて十分であれば、なにか訪れた出来事に対しても鈍感で自分には関係ないと思う状態であるとき。逆に不満や苦労があってもそれ以上は変えられないのではという状態であるとき。自分のことよりも人のためにしていることでやりたいことも求めることも出来ない。


「チャンス」はいっぱい降っていると思うけけど、チャンスと捉えられるような視点でものを見ているかということであって、あとはそう思える状態かどうか。それは求めている人にくる。そういう風にとらえるようになりました。

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